球団の歴史

広島東洋カープの本格的に歴史を振り返ると、戦後原爆投下により壊滅的な被害を受けた広島は復興を目指すために「広島野球クラブ」を設立しました。
そして広島東洋カープの「カープ」は原爆で倒壊した広島城が「鯉城」と呼ばれていたからです。
正式に広島カープと発足してからセントラルリーグに加盟したものの、1951年には球団経営が思うようにいかず、給料や遠征費などを賄うことができなくなり球団解散に陥りそうになりましたが、当時の監督の説得で存続が決定しました。
そしてその時にカープを愛する広島市民が募金を行い当時の価格で400万円を集めて球団を解散回避することができたのです。
その後も広島市民球場に本拠地を移転し、1968年に現在の球団名を「広島東洋カープ」に変えました。
実は広島東洋カープの「東洋」はあの自動車のマツダの旧社名からとられているのです。
なぜ名前に入れて貰えたかと言いますと旧東洋工業が球団の持ち株を3分の1以上保有しているからです。
持ち株を保有していても非連結子会社ですので、球団経営にはあまりかかわっていません。
そこから広島東洋カープはオーナーの死去や最下位に終わる不運が続きましたが、1975年にリーグ初優勝を果たすことができました。
球団で初めて外国人監督ジョー・ルッルが就任してからヘルメットと帽子の色を「野球に対する情熱を全面に出そう」というスローガンのもと紺色から赤色に変更になりました。
そして球団創立25年目にして1975年10月15日後楽園で行われた巨人戦で勝利し、見事初優勝を果たしたのです。
もちろん初めての優勝ということもあり平和大通りで行われた優勝パレードには30万人という大勢のファンが押し寄せお祭り状態になったのは言うまでもありません。
初優勝から4年後の1979年もリーグ優勝し、日本シリーズでは近鉄バッファローを倒し初めての日本一を達成しました。
さらに1980年にはリーグ優勝を2連覇し、さらにその勢いに乗って日本シリーズも2連覇してしまいました。
1984年にもリーグ優勝と日本一に輝き、1986年と1991年にもリーグ優勝を果たしたのです。
ここまでカープの目覚ましい活躍をしていると、広島の復興と比例することができます。
原爆で何もかも失った広島がここまで元気を取り戻すことができたのは、広島東洋カープのおかげと言っても過言ではありません。
ここ近年、優勝から遠ざかっていますが、来年こそ優勝を目指して球団とファン一同が頑張って行けたら良いなと期待を込めています。

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